埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)は、埼玉県行田市にある、前方後円墳8基と円墳1基の大型古墳からなる古墳群です。

埼玉古墳群は、2020年(令和2年)、国の特別史跡に指定されました。「埼玉古墳群 -古代東アジア古墳文化の終着点-」として世界遺産への登録を推進しています。

大型古墳が集中していることで全国的に有名で、昭和13年8月に国の史跡として指定を受け、「さきたま風土記の丘」として整備、活用されていました。
中でも丸墓山古墳は日本一の円墳といわれています。
また、稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣は、115文字の銘文が持つ歴史上の意義から世間の注目を集めました。

かつては大型古墳の周りに陪臣の小型古墳があり、円墳35基、方墳1基からなっていましたが、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊されてしまいました。

埼玉古墳群データ

古墳群の歴史

古墳群は5世紀末から7世紀にかけて成立したと考えられています。

およそ南北800m、東西500mを墓域とし、5世紀後半から7世紀初頭までに9基の大型古墳を順次造営。前方後円墳の主軸方向が一定の範囲内にそろっています。古墳間が極めて近接しているのも特徴です。

埼玉古墳群~さきたまこふんぐん~

埼玉古墳群のおもな古墳

稲荷山(いなりやま)古墳

形状は前方後円墳。金錯銘を有する鉄剣(稲荷山古墳出土鉄剣)が出土したことで知られます。
出土品は国宝に指定されています。

埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳。造営年代は、古墳時代後期の5世紀後半と考えられています。埼玉古墳群中では最初に築造されました。

稲荷山古墳は大阪府堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇の陵に治定)と墳形が類似していることが指摘されています。

出土品

金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)

1968年の発掘調査において金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)が後円部分から発掘されました。1978年、この鉄剣に115文字の金象嵌の銘文が表されていることが判明。1983年、他の出土品とともに「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として国宝に指定されました。

丸墓山(まるはかやま)古墳

丸墓山古墳は日本最大級の円墳です。
造営地の一部が低地であったにも関わらず、稲荷山古墳の西側に築かれていることから、当時の人々が西を重視していたことがうかがえる。この古墳には、かつて石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた石田堤と呼ばれる堤防が残されている。

二子山(ふたごやま)古墳

武蔵国最大の古墳。
名前の由来は「二つの山に見える」ことから。埼玉古墳群の中で最も大きな古墳。造営後は東側に広い空間があるにも関わらず、大型の古墳が新造営されることはなかった。

将軍山古墳

全長101mの前方後円墳。後円部に横穴式石室の内部が見学できる展示館が設置されています。二重の方形をした周濠を持ち、埼玉県下で8番目の規模の前方後円墳です。
造営年代は、古墳時代後期の6世紀末と考えられています。

愛宕山古墳

埼玉古墳群中、最小の前方後円墳。発掘調査が行われた範囲が狭いので、古墳全体の形の復元は今のところ困難であるが、周濠は方形で二重にめぐっていると見られる。

瓦塚古墳

形象埴輪が多数出土。古墳群中6番目の大きさの中型前方後円墳。明治時代の初期、付近に瓦工が住んでいたことから、この名があります。

奥の山古墳

6世紀中頃造営。鉄砲山古墳の墓域が既に決まっていたため、それを避けて造られたと考えられています。

鉄砲山古墳

数少ない三重の周濠を持つ前方後円墳。全長112mの前方後円墳。

中の山古墳

古墳群の中で最後の前方後円墳。他の古墳にある黄土色の埴輪の代わりに、寄居町産の灰色の須恵質埴輪壺(すえしつはにわつぼ)が出土しています。

さきたま史跡の博物館

埼玉県立さきたま史跡の博物館(さいたまけんりつさきたましせきのはくぶつかん)は、埼玉県行田市のさきたま古墳公園(9基の大型古墳からなる埼玉古墳群(国の史跡)を整備した公園)内にある博物館。1969年(昭和44年)開館。

本館には国宝展示室と企画展示室のふたつの展示室がある。国宝展示室では金錯銘鉄剣(国宝)などのさきたま古墳群やその周辺の遺跡の出土品が展示されている。企画展示室では定期的に企画展が開催されています。

将軍山古墳展示館は1997年にオープンした展示館で、埋葬の様子が復元された石室の内部を見学できるようになっています。

住所 〒361-0025 埼玉県行田市大字埼玉ほか
埼玉県 行田市 大字佐間、渡柳、樋上、堤根、埼玉地内埼玉県立さきたま史跡の博物館
〒361-0025 埼玉県行田市大字埼玉4834
最寄り駅 東行田駅
TEL さきたま史跡博物館
048-559-1111
オフィシャルサイト 埼玉県公式HP

出典:祝 埼玉古墳群 国指定特別史跡へ – 埼玉県